活劇☆ちゃーと5の「RANSE」を観た。
乱世にほんろうされながらも自分たちの信念をつらぬく人たちの話。 殺陣あり、ギャグあり、お色気ありの超エンターテイメントだっ。 でも何かがひっかかる。 とてもひっかかる。 チープなんだ。 なにもかもが。 殺陣も、ギャグも、お色気も、なにもかもがチープだ。 なんていったらいいんだろ。 むかしの少女マンガを読んでるような、 たとえるなら、少年ジャンプに挑戦するガラスの仮面? 違和感をおぼえつつも、2時間半この舞台を凝視したぼくはかんがえる。 客席から聞こえたいくつかの笑い。 あれは作り手の意図からはずれたもので、 ただ舞台のチープさに笑ってたんじゃないか。 チープさで笑いをねらってたんならわかるけど、あきらかにそうじゃなかった。 気になる人には気になるんだろうな。 お約束の連続、ワンパターンな展開、しかも中途半端。 活劇☆ちゃーと5は完成度を求めるお客の天敵だっ。 でも、 でも、 でも、 活劇のやっていることはかなり大事なんだと思ったりする。 なんていってもわかりやすい。 すごくわかりやすいんだ。 単純明快。 ストレートにぶつけてくる。 今日観てて、ああ、これは一つの型なんだと思った。 舞台表現の一つの型であり、 活劇☆ちゃーと5という一つのパターン。 そして、彼らのはとても基本的な舞台表現のパターンの一つだと思った。 そういう意味では、活劇は着々と自分たちの完成へ近づいてるんじゃないかと、勝手に思ったりする。 でもあまりにもわかりやすくてお約束すぎるから、 一部の人にはウケないかしらん。 そんなのわかってるよ、知ってる知ってる、次こうなるんでしょ? って感じるお客さんにとってはなかなか満足できない。 でもそれが好きならそれはそれで一つの満足。 パターンの獲得ってのは劇団やってるとかならず出てくる出来事の一つだ。 パターン化するのがいいとかわるいとかじゃなくて、パターンをどう使うかが問題。 同時に、それは舞台を観る人のパターンを考えることでもあるかもしれない。
by kosugehiroshi
| 2005-02-15 01:56
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